戦後の混乱期、人々は食べるものさえ満足にない生活に あえいでいた。創業者田坂種三郎の息子・田坂豊治は、 家業としてのビジネスを模索し、飲食業を検討する。 しかし田坂種三郎は父としてこうアドバイスした。 「日本はこれから復興へ向かう。人々が明るく 元気に生きていくために、小鳥を商っていこう」。 貧しい時代だからこそ、心の糧を提供したい。 創業者の先見性が、HISTORYの第2ページを開けた。